2011年03月08日

君は飛びこむことができるか?

以前にSOMESAT関連のエントリを書いた時は、
SOMESAT側にしか問題がないような書き方をしてしまったんだけど、
いまはそれを反省している。

↓↓ 以前に書いたSOMESAT関連のエントリ ↓↓

「現在のSOMESATに関して思うこと」
http://kirikuzudo.sblo.jp/article/40369298.html


僕の書いていた「やることを示せ、まずはそれからだ」というスタンスは、
「この授業はなんの役に立つんですか」という馬鹿げた問いと同じ程度のものだった。

思ってはいても、少なくとも、口にすべきではない問いだ。

結局、SOMESATに限らず、何かに参加するということは、

「何ができるか、何を得られるか、確証がなく、拘束や負担を要求される状況に身を置く」

ということになる。

それに意味があるとすれば、そんな状況のもとで、
自分を納得させるために自分に意味づけすることにこそ意味がある。

いや、自分に意味づけするために行われる行為(努力といいかえてもいい)にこそ意味がある。

僕はそれを、状況に飛びこむ、と表現したい。

思えば、状況に飛び込んでしまえば、あとはなんとかなることばかりなのだ。
だから、僕はあそこで開示することを求めるべきではなかったのだろう。

改めて。大反省である。

でも、ここまで自覚的になっても、僕はSOMESATという状況に飛びこむ気にはなれない。

というか、既にもう追っかけてないんだ。

もともと衛星さわってた人たちがたくさんいるってのもあるけど、
優秀すぎる人たちが溢れていて、劣等感で僕なんかは鬱になりそうだし。

それに僕はやっぱり批評家なんだよね。実行は向いていない。仕事ではやるけど。

僕は飛びこめなかったけど、若い人たちは躊躇せずに飛びこむとイイと思う。
若さは才能のない言い訳にもなるし、若いうちは何からでも学べるし、起動修正だってできる。

ただ、辛いと感じたら逃げたほうがいいけど。
我慢しすぎると、数年後、十数年後にツケはまわってくるから。
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2011年03月07日

新聞のアウトリーチ

先端のIT企業はどうかしらないけれど、日本の一般的な(つまり小規模な)企業で
決裁権限もってる人たちってわりと新聞を読んでるよね。

自分で読まなくても秘書みたいな人がスクラップしてたりするし。

読んでる新聞はだいたい地元の新聞社の発行するやつ(例えば京都新聞)とか日経とかが
多いんじゃないかな。


<以下、小咄>

で、なんの話かというと、
ちょっと会社で調子の悪いパソコンが数台あったわけですよ。

年度末なんで、デルが新聞にキャンペーン広告を打つわけです。
「2月28日までなんたらかんたら」というようなアレを。

そうすると決裁権限を持っている人たちがそれを見て、
「デルがキャンペーンやってるけど調子悪いなら買い換えたらどうだ」
なんて言ってくるわけです。

もちろんそういう新聞に載ってくるパソコンって、
デルの機種でいえば、VostroとかInspironみたいな汎用パソコンなわけです。
まあ、一般的な用途には十分なんですけどね。

でも、調子の悪いパソコンって、実はCAD用ワークステーションだったりする、と。
デルの機種でいえば、Precisionになります。

パソコンなんてどれも同じなんて思ってる人も多くて、
あとはCPUの動作周波数と、RAMとHDDの容量しか見てない人も多いわけです。
それでも某コピペよりはマシですが。

CAD用ワークステーションだと、グラフィックカードが最低でも、
ELSAのNvidia Quadro 600くらいのものが欲しいわけです。今なら。

下手すると新聞広告の2倍くらいの値段になりますよね。

勘弁してくださいデルさん、と。

<以上、小咄>


そんな経緯もあり、新聞に載せる広告のアウトリーチって、
決裁権限のある人が見るから、地味でも実効性があるアウトリーチになるんだなあ、
と実感しました。

テレビはCM飛ばしされるし、そもそもテレビ見ない人が多いですけど、
新聞は冒頭でも書いたように、わりとその手の人は読んでいますからね。

企業間取引(B2B)で新聞に広告出す理由もこれで納得しました。
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2011年03月04日

万人が万人の監視を行う社会の到来

1月の上旬に、某サッカー選手と某モデルがデートしているのを、
某所の店員がTwitterでバラしてお祭り炎上騒ぎになったの、覚えてますか?

まあ、最初はその店員の自業自得だと思ったんだけど、
その後の経緯を見て、どうなんだろう、と思ったんだよね。

お祭り炎上騒ぎで、その店員はMixiやFacebookのアカウントを特定されて、
2chに顔写真をふくめた個人情報が掲載されるところまでいったとか。

それ以降、どうなったかぜんぜんしらないんだけど。

「万人が万人の監視を行う社会」がついに到来したんだなあ、と思いました。

Twitterでつぶやいたことは、Twilogに登録していたら残ってるし、
ブログだってどこかにアーカイブされてる。

MixiやFacebookだって、お祭り炎上になったら、
アカウント消す前に画面キャプチャされて流出するし、
今回みたいにそこから顔写真や交友関係まで割り出せたりする。

あとは電話で突撃取材するとかしたら、昔話だってひっぱりだせる。

悪いことしなきゃいい、と思うかもしれないけれど、
悪いことしたいと思って悪いことするやつ、少ないよ?

だいたい自覚がないのが多いし、それにあれだよ。

特に誰も被害を受けていないのに悪目立ちしただけでお祭り炎上、
なんてことも起こりえるわけで。

もちろん擁護派も現れるだろうけど、
結果的には悪目立ちした人が損をするよね。
炎上マーケティングとかじゃない限り。

そういうことを考えると「万人が万人の監視を行う社会」はわりとうんざりだな、と。

別に、目立つようなことするつもりも、する能力もないからいいんだけどね。
ま、馬鹿なことをしないようにおとなしく生きるようにしよう。うん。それがいい。

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2011年03月03日

さよなら、失敗知識データベース

JSTの失敗知識データベースがサービス終了とのこと。

http://shippai.jst.go.jp/fkd/Detail?fn=3&id=NZ20110117104135

畑村先生のところで現在のデータは見られるとはいえ、ちょっともったいない。
mistakepediaとして普及してほしかったのですが、
やはりデータベースではダメだったのでしょうか。

たしかに『失敗百選』よりも講義で聴いた失敗談のほうが
よく覚えてたりしますよね。

学校の工場で鋳造(鋳鉄)の実習をしていたところ、
砂型に水分が残っており、溶湯と反応して水蒸気爆発を起こして、
工場の屋根が抜けた話とかはよく記憶に残ってます。

それから鋳造実習はアルミニウム鋳物になったとか。
まだやってるのかな、あれ。

ストーリーがあるのが大切なのか、それとも伝達する場が大切なのか。

あとは現場のおじちゃんが教えてくれた失敗談。
それに自分がやらかした失敗とか。

まあ某所でフィルムヒーターに200V流してテストピースをふっとばしたとか、
テスト基盤のダイオードを順逆まちがえてはじけさせたりとか、
私もいろいろ電気関係ではやらかしていますが。

どうすればリアリティを感じられるかというところかもしれないですが、
そうでなくても覚えている失敗談というのはあるもので。

本で読んだ中では、特に畑村先生・中尾先生の『機械創造学』に出てくる話が、
記憶に残っています。

MHI長崎造船所でのタービンローター破断とか、
適切な保護なしで材料の単純圧縮試験してテストピース弾丸とか。

あと、リバティ船、コメット号、タコマ橋、は工学部で知らなきゃ「もぐり」とか。

ついでに某自動車メーカーの安全指導や設備基準も人が死ぬ事例ばかりなので、
よく記憶に残っていますね。玉掛とかも。寝てると机を叩かれるし。

しかし、自分が企画段階から関わった件で失敗をやらかすのが、一番、勉強になりますね。
なにしろ、誰にもいいわけができないわけだから。
フォールト・ツリーをさかのぼっても、最後は自分の甘さにたどり着く。

あと、作業での失敗でも、ちょっとしたチェック漏れとか作業漏れで、
先々、面倒なことになることを考えて、しっかり作業するようになるとか。

失敗というのは取り扱いが難しいですが、たくさん事例を見て、
最悪の場合を想像できるようになっておくのが、まず第一歩かと思います。
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2011年03月02日

例のBBCのお笑いクイズ番組の件について

あれだけ盛り上がったお祭りも、1ヶ月以上経つと、まったく話題にならなくなるんですよね。
僕はGoogleカレンダーに登録しておいて、8月にまたこのブログで取り上げてみようと思っています。
どれだけ覚えている人がいるか、について。

というわけで、いまさらなんですが、あのBBCの件について思ったこと。


1.お笑いクイズ番組にマジレスとかカッコワルイ

「お笑い番組の言うことなんてスルー」しないのかね。
それが基本スタンスだと思ってたんだけど。
ま、僕が戦後生まれで現場見てないからかもしれないけど。


2.反応がテンプレート過ぎて……もうね

「判を押したように、戦争被爆国の国民であるだけで、被害者として振る舞う」
という態度ってどうなんだろうと思った。

「判を押したように、中国の国民であるというだけで、戦争被害者として振る舞う北京の学生」
を僕たちは軽蔑していたんじゃないのかな。
少なくとも日本の一部の人たちはそういうのを軽蔑してるよね。

で、もし同じ構図が成り立つなら、
イギリスの一部の人も、今回の「判を押したように〜」を軽蔑してるんじゃないかな。

だいたいニーチェの「大衆への嫌悪」を大衆がスタンダードとして持っているのなら、
こういうテンプレート的な反応を嫌悪するはずだと思ったんだけどな。


3.情報をコンテキストにのせられなくなってきてるよね

情報も知識も流通の壁がなくなって流量が増しているけど、
それをどういうコンテキストで読んだらいいかっていう訓練が追いつかないよね。

それとあわせて、情報編集能力、それも抜粋/要約の能力が、
その副作用への想像力を欠いている、専門教育を受けてない人たちの手に、
あまりにも短期間に普及してしまったせいもあるんだと思う。

情報流量の増加。特にフックとなる情報流量の増加。
興味の増大、不足するアイボール、不足する時間。

そこに情報の送り手と受け手の共犯的な取引が成立する。

送「ま、お時間もないでしょうから、コンテキストのことは忘れてこの要約でいかがですか?」
受「うむ、私も忙しいですからな、コンテキストのことには目をつむりましょう」

まあ、この送受信モデルは1970年くらいに破綻してるんだけど、
フィールドモデルは説明できるほど理解してないんで。(*1)

最近の新書の発刊数とかあきらかにおかしいけど、あれも市場というフィールドを介した、
出版社と読み手のある種の無意識的で共犯的な取引の結果なんじゃないかな。(*2)


4.複数の相手からどう見られてるかって考えなくなったのかな

イギリスの典型的な職業分類で、10人くらい集めて、
それぞれどういう感想を抱くか聞いてみたいな。

あくまで僕の妄想だけど、

a「BBCもアホになったなあ」
b「我が国民の知性は衰亡の一途だ!」
c「この程度のジョークなにがいけないんだ、黄猿どもめ」
d「申し訳ないがWW2はBoBを中心に教えている」

などなど、いろんな感想がきけるに違いない。

というところまで想像できてない人が多かったんじゃないだろうか。

「世界の人たちはそれぞれの立場で、日本への原爆投下、
という事実を本音のところではどう考えているか」

ということを僕らは習わないし、知ろうともしない。
まあ、知ったら被害者ではいられなくなるからね。

今回の件が示唆しているのは
「他国からは自国が考えているより軽い事実として認識されている」
ということ。
それは現実として受け止めた方がいい。
そのうえで、ほどほどに抗議するのはありだと思う。
ただ、何の利益にも結びつかないだろうけど。


5.そういえば陰謀論とかそういうの得意なのに、その類の妄想はあんまり見なかった

もしかしたらBBCは
「判を押したように、戦争被爆国の国民であるだけで、被害者として振る舞う」
日本の一部の人たちを皮肉るためにこのネタを使ったのかも、時期的に。
で、8月までどれだけの人がこの件を覚えていたかを同じ番組でとりあげるんだよ。

というような、
「これはBBCの策略なんだ!」「な、なんだってー!」的妄想をあんまり見なかった。



*1:ネットワーク理論とかも含めて、最近の情報交換モデルは、
数学的素養がないとなんともなんないんだよね。
いまや中2レベルの算数しかわからない僕にはとても無理。
因数分解だって怪しいんだから。。。


*2:バートランド・ラッセルの『幸福論』にもこんなコメントがあったのを思い出した。

偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、
古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた。
現代のアメリカの出版業者が、初めて持ちこまれた原稿として
旧約聖書を目のあたりにした場合を想像してみるがいい。

(岩波文庫『ラッセル 幸福論』より引用)



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2011年03月01日

二番煎じを恐れるな

半ば、自分に言い聞かせることになるんだけれど、
二番煎じと呼ばれることを恐れていると、何もできなくなっちゃう。

今は新しいこと以外、価値はないという風潮があったりするけれど、
これって、すごくよくないことだと思う。

インターネッツと動画投稿サイトのおかげで、
世界中ですごい趣味人がすごいことをしているのが、
簡単に見られるようになってしまった。

だから同じコトやっても「二番煎じ」と呼ばれるのがオチだったりする。

でも、本当にそれは「真似てやる価値がないコト」なんだろうか。
科学的業績を求めているのならそれは別だけれど、
学会的な栄誉とかそういったものも別だけど、
自己満足のようなものでいいんじゃないだろうか。

経済的合理性でいけば、どうかわからない。

けれど、たとえ車輪の再発明だったとしても、
そこには個の経験としての何かがあるわけだし、
そこから先人とは違った方向への発展だって考えられる。
やったことがないとわからないことも多いし。

だから、二番煎じを恐れてはいけないし、
二番煎じと言われても、それは

 「自分がまだどこかへ向かう途中という指摘」

だと受け取ったほうがいいと思う。
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2011年02月28日

俺のイタリアがこんなに強いわけがない

ここのところblogを更新できなかったのは、
本来ならエントリを書き溜めているはずの時間に
HOI2(ハーツ オブ アイアン2)というゲームに
どっぷり浸かっていたからです。

動体視力・運動神経が最低ランクの私が、
FPS(First Person shooter)ゲームや弾幕シューティング、
アクションRPGをやるわけがなく、
エロゲーやノベルゲームも高専で卒業しているわけでして。

そんな私がプレイするのは戦略/戦術シミュレーションゲームくらいです。

思えば、小学生で信長の野望(戦国群雄伝および武将風雲録)をプレイし、
中学生のときは大戦略(鋼鉄の旋風/サターン版)をプレイし、
高専ではAge of Empiere(Rise of Roma)をマルチプレイしていた私が、
社会人になって戦略級シミュレーションをプレイしないほうが不思議というもの。

で、Google先生におうかがいをたててみたところ、
スウェーデンはParadox Interractive社の「HEARTS OF IRON 2」がよろしいとのこと。

ゲームの概要は、以下のサイトがわかりやすいかと思います。

「ハーツ オブ アイアン 2 攻略作戦 〜初心者の館〜」
http://kamurai.sakura.ne.jp/simulation/hoi2/

まあ、ぶっちゃけ、WW2(第二次世界大戦)の戦略級シミュレーションゲームです。
それもちょっと大人な。というのも、特に目的が設定されていないんです。

もちろん、勝利点やスコアは統計情報としてでてきます。
しかし、特にそれにこだわらなくてもいい。
むしろそんなん気にしてないプレイヤーがほとんどじゃないでしょうか。

ゲーム雑誌のサイトでもこの扱いだし。。。

「4Gamer.net 「ハーツ オブ アイアン II 世界ふしぎ大戦!」」
http://www.4gamer.net/weekly/hoi2/002/hoi2_002.shtml

「4Gamer.net 「HoI II ドゥームズデイ スパイ大…戦!」」
http://www.4gamer.net/weekly/hoi2dd/001/hoi2dd_001.shtml


まあそんなわけで、
このゲームの面白さは、WW2当時の各国をロールプレイできる、に尽きると思います。

カナダを選択して傍観者として過ごしてみたり。(初回)

フィンランドを選択して冬戦争でソ連に脅されたりとか。(2回目)

ソ連でプレイしてスターリンの大粛清で優秀な将官のほとんどを失うとか。(3回目)

ただ戦争して世界征服すりゃいいってゲームじゃないところがいいです。
そういうのはすぐに飽きてしまうんでね。

スタンスとしては便利なシミュレーションフィールドってとこでしょうか。

あとは兵器オタなら資料用PCやiPadを横において、兵器名や写真資料を見ながら、
戦闘や輸送の様子を脳内で再現してとか、そういった楽しみ方も。

で、このゲームは難解といえば難解なんですが、
学習曲線が対数関数のようになっていて、プレイ時間が変曲点を超すと、
コツがつかめて急にやりやすくなってくる。

ちょうど今回がそれで、私も複雑といわれるルールが自然に思えてきたようです。

で、今回、選択したのはイタリア。

方針はドイツと組まない。しかし、手は出さない。
独自の路線で共和制ローマのように地中海をマーレ・ノストゥルムとして勢力を広げる。
アメリカさんとイギリスさんには勝ち目がないので手を出さない。
できればソ連さんともやりあいたくない(フラグ)。

というわけで、プレイを開始しました。

で、いきなりエチオピアと開戦状態。
前回まででなんとなく戦闘のコツはわかっていたのと、
たくさんAAR(After Action Report、プレイレポート)を読んでいたので、
資源状態や技術力なんかをしっかり確認してから行動開始。

資源的にはフィンランドより恵まれているものの、というところ。
それでもかなりマシなほう。
技術力は開始時、海軍が優秀なものの、戦艦が中心ですぐに陳腐化しそう。
が、開発するとリットリオ級が製造できるらしい。
いいねえ。リットリオ級。WW2の戦艦では大和と並んで有名どころです。
扱いも結末も大和と似てるというか、それより悪いな。
でも、作ってみたくなったので、空母も併せて戦闘群を作ることに。

石油が確保できそうにないし、工業力も低いので、陸軍は歩兵中心で。
人口が多いため、軍需物資はわりと豊富に供給できそうなので、
野戦砲と装甲車をほぼ全師団に配備することにする。

あと、地中海沿岸はわりと山岳地帯が多いので、
耐久力が高く、山岳地でペナルティの発生しない山岳兵を多めに構成する。

で、ゆっくりとエチオピアを併合し、なんとなくアルバニアを併合し、
次はユーゴスラビアとコトをかまえるかと思っていたんだけど、
スペイン内戦でフランコ将軍が負けて、共和派が存続してしまった。
といいますか、アルバニア戦で忙しくて、フランコ将軍に支援を送るかどうかの
選択肢イベントで、Noを選択したんでした。
ドイツはしっかりと支援していたみたいですが。

で、よく考えたら古代ローマもガリアより先にヒスパニアに勢力を伸張したんでした。
第二次ポエニ戦役のスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)ですね。

というわけで、内戦で弱体化し、どことも同盟のないスペインに宣戦布告。
しかし、弱ったとはいえ、20個師団相当の歩兵部隊が沿岸部に配置されています。

そこで大スキピオを参考にして、カディスに強襲上陸して陽動をかけ、
タラゴナ/バルセロナが手薄になった隙に、
戦艦からの援護射撃と戦術爆撃機の手厚い支援をうけつつ、そちらに強襲上陸。
ところが、サラゴサまで勢力を伸張したところで、膠着状態に。

向こうもこちらも20個師団程度なので、しかたないといえばしかたない。
時間がかかるのを覚悟して、長期戦のかまえに。
1年半かけて新規に山岳兵と司令部を編成し、追加で12個師団を投入。

山岳兵のペナルティレスと手厚い航空支援が功を奏し、なんとか首都マドリードを攻略。
ここでさらにエチオピアとリビアから呼びつけた10個師団を追加で投入し、
スペイン南部に残存部隊を追いこみ、決着をつけて、ようやくスペイン併合。
ここまで約2年ちょっと。

ふくれあがった軍隊を眠らせておいてもしかたないので、ユーゴスラビアへ宣戦布告。
で、ある程度、侵攻したところで和平の申し出が。
実はこれまで和平の申し出をうけたことがなかったので、試しに受けてみる。
すると。。。

講和条約で1年ちょっと、宣戦布告できなくなるのね。

予定外だったけど、ユーゴスラビア併合後に宣戦布告する予定だった
ギリシアへ侵攻することに。
その前に、ブルガリアと軍事同盟を結んでおく。
ルーマニアの機甲師団がドイツの援助のせいでわりとやっかいそうだったんで。
あとはギリシア北部への機動線の確保。結果として使わなかったけど。

こちらはわりとあっけなく併合完了。むしろパルチザンに手を焼く。
で、パルチザン対策に追われていると、マジョルカ島がパルチザンに占拠されてる。
で、スペインを見てみると、いや、パルチザン活動が激しくて、ほとんど機能していない。

ギリシア侵攻前後でエチオピアを独立させたからそれで不満度が大幅に上昇してたんだね。
しかたないので、スペインを共和派のもとで独立させる。
途端に落ちる工業力パラメータ。技術開発も80%までダウン。

後がなくなってきたので、もうユーゴスラビアを併合するしかない。
今度は度重なる和平提案を蹴りつつ、速攻でベオグラードを陥落させて、併合。

マニュアルを読むと、パルチザン対策には守備隊を置け、と書いてあったので、
それに従って20個師団ほど守備隊を編成。
ギリシアとユーゴの全プロヴァンスに配備する。

これで工業力を取り戻し、さらに膨れあがった40個師団で、次のターゲット。
もちろん、ギリシアの先には小アジア、トルコが。
で、トルコに宣戦布告したんですが。。。。。

その直後、反射的にソ連からカウンターで宣戦布告されますた orz

いや、トルコとは相互不可侵条約を結んでただけなんで、
まさかトルコ侵攻がソ連さんとの戦争につながるとは思わなかったんですよ。
スターリンさんは和平してくれなさそうだし、しかたないや。

幸い、ドイツさん、中国(国民党)さん、そして私のイタリアと、
ソ連はこれで3正面作戦に近い状態なので、
300個師団(諜報で入手した情報)をまともに相手にする必要はないわけです。

まあ、戦争してるのはイタリアだけなんですけどね。

とはいうものの、ソ連さんのAIも西側をからっぽにしたら、
第三帝国の機甲師団がモスクワまで一直線なのは理解している様子。
極東もまあ似たような状態ですし、フィンランドのこともあります。

せいぜいこちらには100個師団程度を回せるぐらいでしょう。
それにトルコがまだ間にあるから、陸続きではない。
相互不可侵条約があるから、トルコ併合さえしなければ、
あの100個師団に対してトルコさんが壁になってくれるわけです。

というわけで、まずはトルコの首都アンカラを落として、和平を切り出させます。
小アジアのいくつかのプロヴァンスを確保し、港湾と空港を手に入れたところで、
黒海を舞台に赤軍との戦争を開始。

「よろしい、ならば戦争だ」

ここでも強化した海軍を投入し、黒海の制海権を確保。
が、さすがにソ連さま。簡単には強襲上陸を許してくれない。
オデッサで押し返され、セヴァストポリ要塞で押し返された挙げ句、
黒海東岸のバトゥーミ(現在のグルジア)になんとか強襲上陸成功。
と、ウヨウヨと機甲師団を含めて50個師団近いソ連軍が、
上陸部隊を黒海に追い落とそうと迫ってきます。

虎の子の30個師団を全損は避けたいので、泣く泣く上陸地点は放棄。
山岳兵3個師団を黒海に落とされて失ったものの、
かわりにお留守のセヴァストポリ要塞に強襲上陸。
うーん。AIおかしいぞ。

とりあえずセヴァストポリ要塞はとても守りやすいので、
ここを橋頭堡にソ連さんに消耗戦を強いる。
どうがんばっても20個師団程度しか入ってこられない半島で、
制空権もなく爆撃されながら、
野戦砲or装甲車or対戦車砲が装備された30個師団に挟撃される。

これで消耗しないほうがどうかしています。
が、そこもソ連さん。消耗分ぐらいは素知らぬ顔で補充してきます。
10個師団潰しても、また10個師団やってくる。

どうにもならん。。。

しかも1945年ということで、奴らは核兵器の開発に着手しやがりました。
このゲーム、1953年までプレイできて、頑張れば南アフリカだってICBM作れるんです。
と、あるAARで読みました。ICBMは敵の首都プロヴァンスさえ一発で葬り去るチート兵器。
もちろん、それ相応の投資は必要なわけですが、ソ連さんの余剰工業力なら余裕。

これはどうしたものか。。。

というところで、先日はプレイを終えました。

戦術的にはカスピ海沿岸のバクー油田をおさえれば、ソ連さんの出足は止まるのですが、
それでこちらが攻勢に出られるほどでもない。
現在は数の優位が成立しない局地戦で消耗にならない消耗を誘っているだけで、
ウクライナの平原に出たら100個師団と正面切ってご対面なわけです。
というか、一度、打って出たけど、50個師団とやりあって半島に押し戻されました。
数では勝てません。そして時間が経てばチート兵器が登場。

打開策としては、現在の軍事同盟を解散して、ドイツさんと遅ればせながら枢軸を組めば、
溜めに溜めた機甲師団で電撃戦をやってモスクワを陥落させてくれそうですが、
同盟を組んだ途端、イギリス様がスペイン、リビア、エチオピアに速攻をかけつつ、
地中海の制海権と制空権を奪ってくれそうなので、その線は却下。

逆にイギリス様にすり寄ってみるのも手かもしれませんが、
内部処理の関係でイタリアとイギリスはなかなか同盟が困難だそうです。
いちおう友好度は朝貢してあげまくってるんですけどね。
しかしイギリス様と組むとドイツの機甲師団がザルツブルグ経由で、
一気にヴェネツィアに侵攻してくれそうで、これも却下。

ソ連様は極東をちょこっといじられたところでそんなに痛くないはずですし、
日本は元気がなく、蒋介石と独立朝鮮に大陸から押し出されました。
ちなみに太平洋ではアメリカ相手に史実通りの展開。

望みとしては、アメリカ様がさっさと日本を攻略して、
東からソ連をいじってくれると、それなりになんとかなりそうなんだけど、
アメリカ様は設定でほとんど宣戦布告しないからね。
太平洋だって史実どおりの真珠湾からスタートしていたし。


というわけで、こういうなんともならない状況であれこれ考えるのも、
このゲームの楽しみなのです。
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2011年02月03日

経済的なスコープ“のみ”の床の薄さ

もうずいぶんと前にTwitterのフォローも、ブログのRSSフィードも切ったんだけど、
たまにTwitterのTL上に流れ込んでくるんだよね。

 自称リバタリアン、な人たちのブログエントリやTweetが。

先日も、とある人のTweetが何回かRTされた末にTL上に流れてきて、
それを読んで、うーん、となってしまった。

リバタリアニズムの詳細はWikipediaで読んでほしいけど、
この自称リバタリアンな人たちは、なんというか、自由主義というよりかは、
「経済論理原理主義」とでも言った方がいいような主張の仕方を
しているように見えちゃうんだよねえ。

もちろん、僕もバブル期に生まれ、崩壊後に青春を送った、資本主義の申し子だから、
マネーの大切さもキャッシュフローの余裕がもたらす安心感も、よくわかるんだ。
だからそういった経済のメソッド部分に関する主張については、僕も首肯していた。

けれど、いつからか、もしかしたらはじめからだったのか、
彼らの書く文章に特有の息苦しさを感じるようになってしまった。

なんだか、経済的なスコープ“のみ”があって、絶対基準のように扱われている。

断っておくと、僕も精神論はあんまり好きじゃない。
根性で、時間をかけてなんとかするより、道具を買ってサクッと済ませる方がいいし、
日常的にチャージ計算するくらい、どっぷり経済的なスコープに染まっている。

家電や自動車だって、最低10年に一度は買い換えて、
効率の悪い機械は資源としてリサイクルに回されるべきだと思ってる。
トータルでのエネルギー消費が大きかったとしても、
モノは既に生産されてしまっているのだから。

っと。また話が別の方向にいってしまいそうだった。

そうそう。経済的なスコープが絶対基準のように扱われていることに対する息苦しさ。
それを自称リバタリアンな人たちの文章から感じるようになってしまったわけ。

もちろん、彼らは間違ったことを書いているわけじゃない。
みんな勉強熱心で努力家に見えるし、その文章は筋が通っているし、正論だったりする。
政治経済その他、様々な事情にも精通している。貧困層というわけでもない。
ネットへのコミット具合からも都会の知識層サラリーマンというところじゃないかな。
少なくともド田舎の農家や工場の期間工だとは思えない。みんな大学を出てるしね。

でも、彼らの正しさは経済的なスコープの中でのみ完結する正しさなんじゃないだろうか。

僕は自分の感じた息苦しさをそう仮定してみたい。

少し話は変わる。

 かつて僕もそれなりの規模の企業でIT運用をやっていた。
 26歳の春までに旧情報処理技術者試験の
 「テクニカルエンジニア(システム管理)(ネットワーク)(情報セキュリティ)」
 を取得していたくらいだから、それなりに勉強もしていたし、
 高専卒だったけど、放送大学を仕事しながら卒業して「学士(教養)」資格もあったから、
 上記の資格給の合計で、同期入社の修士卒に近い給料をもらっていた(ハズ)。

 で、そんな自分のIT関連知識にうぬぼれていたんだろうけど、
 なんというか、僕も自称リバタリアンだった。
 思い出そうとすると恥ずかしくて、記憶がぼやけるくらいに。

 で、いわゆる「リア充」な生活を送っていたんだけれど、26歳の夏、
 家業のために実家に呼び戻された。十数人足らずの町工場だ。

 それから2年半、IT屋だった頃には見ることのなかった、
 社会の泥臭い部分を目の当たりにしつづけている。

 自分は結婚すらしていないけど、子供手当てや扶養者控除、企業年金、消費税は、
 僕にすれば毎月、毎年、リアルな数字が降ってきて頭の痛くなる話だ。
 中国の小ロット鋳物は品質がひどいし、日本の加工屋でも腕がいいのは一握りだ。
 人件費の高さは本当に胃が痛くなる。中間商社が何割もハネるから利益は減る。
 目の前のお客さんは本当に困っている。水の出ない食堂、水の流れないトイレ。
 切実すぎる。けれど技術的には戦前止まり。しかし夢なんぞ語るヒマはない。
 底辺を支えているものなのに、いや、だからこそ、ろくに投資はなされない。

 そういったものを目の当たりにしながら、手当たり次第に本を読んだ。
 それこそ、今までに読んだことのないジャンルのものまで。
 流行のものも、技術書も、政治経済思想のものも、歴史ものも。

話を戻そう。

その昔、僕が自称リバタリアンだった頃に採用していたのが経済的なスコープだった。

付け加えると、変化は素晴らしい、という盲目な思い込みもあった。
理屈で考えれば、正論でいけば、理想へと向かって変化するべきだ、
そうしないのは「大衆」が「馬鹿」で「勉強しない」からだ。そう思っていた。

でも、今はそう思わない。
今は、極論や単純な理想型にものごとを落とし込むことには慎重だ。
少なくとも、以前よりは慎重になった。

だから、自称リバタリアンな人が単純に間違っているとも言えない。
彼らはある条件下では正しいことを言っているのだ。
ただ、そんな条件付けは高校物理の問題並みに理想的すぎるので、
現実世界では成立する可能性が低いというだけで。

けれどそれは、そんなことを検討する、発言する価値がないということではない。
ある条件下においては正しいのだから。
そして、僕はそんな条件付けしてまで求める正しさに息苦しくなったんだろう。
ここ2年の経験が僕を変えたというのもあるだろうけど。

まあ、条件付けられた世界での正しさはそれはそれでかまわない。

それに基づいて生きられる世界も、また、現代日本に成立している。
経済的なスコープのみを信じて生きられるというのは歴史的にみてかなり希有な状態で、
長く続くとは思えないから僕はそれにベットする気にはならないけど、
1億人のうち、1割くらいはそういう生活をしていると思うんだ。

1千万人の現実世界を否定してもどうにもならないしね。

むしろ、それが1千万人の当たり前となったこと、それを実現した過去の人々の蓄積。
そこに僕は偉大な建築家の伝記を読んだ後のような感覚を抱くんだ。

でも、僕はある意味では間違いだらけの世界で生きなくてはいけないのだし、
そこで何かをしたいと思ったら、間違いだらけをひっくるめた何かを、
準備していかないといけないと思っている。1千万人の当たり前を支えるためにも、ね。

うん。こうやってグダグダ書いてきたわけだけど、
気をつけて欲しいのは、

 「経済的なスコープのみ気にして生きられる世界」

  = 「経済的なスコープの外にある世界に支えられているサブシステム」

ということで。

「経済的なスコープのみを気にして生きられる世界」を支えている世界にまで
「経済的なスコープのみを気にして生きる習慣」が拡大していくと、
支えられている世界が支えている世界より大きくなってしまって、
あるとき、急に支えを失うことになるんじゃないだろうか。

※あれ。これって、どこかの国の少子高齢化で見たことある図だよね。

※ま、ちょっと単純化しすぎた気がするんだけど、たまにはいっかな。。。
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2011年02月01日

ブログとツイッター、あるいは、長い文章と短い文

写真を見て感動するには、写真をとった経験があったほうがいいし、
オーケストラを鑑賞するなら、楽器のひとつくらいは触っておいたほうがいい。

これは写真展やオケの演奏会に行く度に実感することだ。
残念ながら、僕のような凡人には未経験の事象を想像力豊かに感受する能力がないらしい。
だから、絵画展や美術展ではいまひとつ鈍い。

同じコトは文章にも言えると思う。
文章を読むのなら、同じ程度のボリュームの文章を書いた経験があったほうがいい。
それが小学校や中学校で作文や読書感想文などを書く理由だと思う。
今はどうなっているか知らないけれど。

小学生/中学生の頃は自分の考えの断片をうまく言語化して操作できなかったので、
作文や読書感想文が大嫌いだった。

ま、思考の断片の言語化は今も下手だし、あまりうまくできていないけれど、
なんとなくあいまいに言語化するようなずるさを身につけてしまった。
それが大人になるということなんだろうけれど。

話を元に戻すと、文書を書いた経験という点から見ると、
Twitterが普及した一因として
「140字というボリュームの文であれば誰でも書いたことがある」
と想定することも可能だったりする。

Twitterにおいては、実際のところ、
140字に満たないつぶやきやチャットが大半を占める。
それこそ僕らが日常的にこなしている言語操作だ。
読むことも書くことも話すことも聞くことも、140字程度ならしょっちゅうだ。

それに対して、ブログやまとまったWeb文章は、わりと長い。
よって読む側にもそれなりの経験が求められる。

長い文章では極端な話、はじめの一文から現在、読んでいる文まで、
それなりに頭にとどめておく必要がある。
そうでないと意味のない細切れの文の羅列になってしまう。
文脈をずたずたに切り刻むという書き手への冒涜行為だ。

で、ここ1年、Twitterにどっぷりはまって、
長い文章を読む能力が極端に落ちた気がする。

最近、長い文章をあまり読んでいないせいもあるのだろうけれど、
それ以上に、自分が長い文章を書かなくなったのが大きい。

ブログというのは割と長い文章を書くことがあるので、
実は言語機能のベースアップにつながるという下心もあって、
僕はサボりつつもなんとか1年間、更新をつづけているのだけれど、
Twitterのイージーさに慣れてしまうと、ついついTwitterでつぶやいて、
ガス抜きをしてしまう。

「のだめカンタービレ」の「千秋のウィーン回想編」を思い出す。
千秋が父親をなじるシーンで、ヴィエラ先生が
「ちょっとスッキリしちゃったでしょう?」
というところ。

そう。ある程度まとまった文章をこさえるにはスッキリ感は大敵で、
プロはこの辺をうまくコントロールしてスッキリしているときにも、
ある程度の文章をこさえることができるのだけれど、
僕のようなド素人はスッキリしてしまったらお終いなのである。

そんなわけで、Twitterはブログを書くための材料の蓄積にはなるんだけれど、
逆にうまく蓄積できないと、単なるガス抜きに終わってしまう。

どうやったら両立できるのか、わりと本格的に悩んでいたりする。

※そういえば、段落とか考えなくなったな。。。
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2011年01月19日

携帯電話のブランドについて

昔、失敗したラグジュアリー携帯なんだけど、
あれは見た目こそ派手なものの、質感は変わらなかった。
その一方で、触り心地やキーの大きさや文字の大きさを必要とする老眼の初老組がいる。

彼らは手帳をめくって電話番号を調べて、電話をかける。メールへの返事も電話。
だって、あの小さな液晶では文字が読めないから。
このことを考えると「松坂屋」「丸善」「カリモク」ブランドで、
銘木削りだしの「黒檀携帯電話」とか、高級な携帯できる黒電話を目指してもいいと思う。

あと老齢の方には
「機械は制約ばかりだが反応や処理は早い」
という思い込みがあるのと、
200gでもたぶん気にならないのと、小すぎる薄すぎると思われてる。

これって雑誌書いてる人や携帯作ってる人には理解不能な感覚じゃない?

前に携帯電話と自動車の産業モデルが似ているってtweet連投したことがある。
いま思うと、広告と販売のモデルが似ているだけで、設計や企画は全く違った。
自動車を供給する人は期間工や外注が使う車両を嫌でも目にするけど、
携帯電話を供給する人は手帳みて電話をかけるなんてまずやらない。

まわりは先端ユーザーばっかりだし。

実際にIT強者や先端ユーザーなんて定義からして少数派だけど、
それが「あるべき姿」だと盲信して啓蒙活動に励んでいた。
現行製品戦略との整合性も高かったし。そこにスマホショック。
たぶん、国内の携帯電話メーカーはもうジリ貧なんじゃないだろうか。
いまの路線のままでは、スマートフォンの後追いをするしかない。

でも、ユーザーとしては本当はスマートフォンじゃなくてもいい。
本屋で「入門スマートフォン」「わかるIS03」とかが平積みされていて、唖然とした。
スマートフォンはそういうマニュアル本を読まなくても使える人が持つ携帯電話で、
マニュアル本を読まないと使えない人にメーカー側の事情でスマートフォンを
無理に供給するのはどうかなと思った。

実際、スマートフォンじゃない携帯電話の選択肢は狭まりつつある。
買っても使えない人が多いし、そういう人はdocomoショップに駆け込むしかない。
真面目な人はマニュアル本を読むけれど。

で、そんな状況で私が思ったのは、国内の携帯電話メーカーは、
「手帳のおじいさん/おばあさん」のための携帯電話に回帰するといいんじゃないかな、
ということ。

産業モデルの話もあるけど、各メーカーが複数の製品ラインを持ってもいいわけだから。
いまだと「安心だフォン」みたいなシリーズしかないわけだけれども。

オシャレでシンプルで老眼でも使える携帯電話。
IP67で10mの高さからリノリウム床に落としても大丈夫な携帯電話。
1時間に1回なるアラームに確認ボタンを押さないと登録した番号に、
血圧計やなんかのテレメトリを送信する携帯電話。

多くはないけれど、種類を増やせば対応できる需要はたくさんあるはずなんだけど。
たぶん、産業モデルがそれを許さないんだろうな。
広告を打てる枠なんて決まってるし、他品種少量だと割にあわないからね。

もういい加減、ソフトやHMIは固定にしてもらってもいいんですけどね。
iPhoneが成功した一因には、あの決まり切ったHMIがあっただろうし、
ブランドを考えるなら、HMIは要素として十分機能すると思う。
「カシオのHMI」と「NECのHMI」ということで差別化してもいいし。
っていうか、昔はあったよね。「PとNとどっちがいい」みたいな。

あと、どうでもいいことだけど、携帯電話のHMIって昔のTVゲームに似てるよね。
高齢世代でもゲーセン通いやファミコンをやりこんだ人は、わりと使いこなしてる気がする。

ブランディングに失敗しているとは思うんだ。国内の携帯電話メーカーは。
G-Shock携帯がうまくやってるほうだというのは、なかなか泣ける事態だと思う。
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2011年01月18日

スターバックスについて

スタバのコーヒーは確かに高い。
リフィル(100円おかわり)しても一杯当たり200円になる。
いくら美味しいといっても自分でドリップしたものほどではない。
それでも人々はなぜかスタバに行く。なぜだろう?

 1:集中を促す適度な喧騒
 2:高価ではないが、質の高い調度
 3:全国区での定型性
 4:エクスペリエンスに300円を出せるという社会的BPF(フィルタ)
 5:社会的BPFが共有されていることによるメッセージ性

そんなところだろうか。

コーヒー単体で見ると馬鹿馬鹿しい。
しかし「スターバックスでコーヒーを飲みながらXXする」という
エクスペリエンスとメッセージを考えると、妥当なのだろう。

実際、「スターバックスでコーヒーを飲みながらXXする」ということが
コモディティ化していて、私はちょっとウンザリしている。
コモディティ化するとメッセージ性が薄れるからね。

で、スターバックスは事業として成功しているわけだけど、
これはApple社の成功と同じストーリーだと思う。
パソコン単体、電話機単体、携帯音楽プレイヤー単体としては
ちょっとどうかと思う性能/価格比だけど、それがもたらすメッセージ性は絶大だ。

他にも同じストーリーにはめられる事業はあるかもしれないけれど、
とにかく

「その製品やサービスを利用することで顧客が、どんなメッセージを
顧客の周囲に発信できるか、またはどんなエクスペリエンスが得られるか」

まで考えないと、民生事業は成功しないだろうな。と思う。

ということを、スタバのコーヒーの値段を見て考えましたとさ。

あと書き忘れていたけれど、プリペイド(先払い)ってのは大きいと思う。
詳しくはモースの贈与論を読まないといけないかも、だけど、

「先にお金を払って物品を得る」のと「物品を得てからお金を払う」のでは、
心理的に大きな違いがあると思う。クレジットカードなんかもその一種だよね。

贈与論もそうだけど、文化人類学や心理学は人間(やその集団)の根本を問う学問なだけに、
経済が背景化していく中で、これから浮かび上がってくような気がする。
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2011年01月17日

「自炊」をはじめてみました

いまさらですが、
流行が落ち着いて、ノウハウも公開されてきているようなので。

「自炊」をはじめてみました。

だいたい、私はアーリーアダプターになるつもりはなくて、
「早めのレイトマジョリティ」がいいポジションだと思っています。
そういう点で、今回もちょうどいいタイミングだったのかな、と。


で、購入した装備。

 1.スキャナ Canon DR-2510C
 2.裁断機 Plus PK-513L
 3.端末 iPad 64GB

スキャナ以外は定番ですよね。

スキャナを定番のScanSnapにしなかった理由ですが、
ScanSnapはTWAINドライバで出力できないってことと、
消耗品が入手困難になっているとの噂があったので外して、
Canonのほぼ同スペック品を購入。とくに問題なく快適です。

まずは日本機械学会誌をとりこんでいます。
わりとボリュームあるのに全然、読んでいないので。
ま、2004年と2005年と2009年と2010年しか残ってないんだけどね。

この調子で「トランジスタ技術」「SoftwareDesign」なんかも取り込んで、
本棚を1本、撤去するつもりです。

あと『虚数の情緒』『クリティカル・パス』『宇宙エコロジー』
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』『情報の歴史を読む』
みたいな分厚くて重い本もiPadやPCで見られるってことで、
がっつり読み込むつもりです。

加えて、専門書でも高専時代に使っていたものは紙の状態が限界に近いので、
これも読み込んで保存する方向で考えています。
参照することもそんなにないですしね。
森北出版の教科書は微妙だと思いますし。
あ。朝倉書店は流体関係に限って言えばかなり使えます。


<これから「自炊」をはじめようと思っている方に>

 スキャナの読み取り速度より、人間の処理速度のほうが遅いです。
 読み取り作業以外のところが「自炊」の作業スピードを決定するので、
 裁断はバッチで済ませておくとか、ファイル保存の方法を体系化しておくとか、
 処理工程と利用方法をきちんと考えておかないと、作業が進まなくてイライラします。

 そういう意味では「自炊」って人を選ぶ行為なのかもしれませね。
 私もIT運用の経験がなかったら、たぶん「自炊」してないと思う。
 生産技術の人なんかはもっと厳しいんだろうな。。。

 あと、「自炊」をはじめる際に自分にする言い訳としては、
 やはり「本を捨てるため」に「本をデータ化」するというのが効きました。
 おかげで「自炊」する前には読み返しますし、
 手段と目的が逆転して「自炊」したいから「積ん読本を読む」などという
 ことも起きたりしています。


<「自炊」して良かったこと>

 「自炊」する本なり雑誌なりを一度、目を通してしまうこと。
 パラパラめくるだけだったり、ガッツリ読み込んだりといろいろだけれど、
 振り返って見ると印象的なコンテンツがたくさん。

 例えば、ですね。

 JAXAの川口淳一郎教授が日本機械学会誌2009年1月号の巻頭言に出てたり。

  宇宙観測は,観測者がneedsを創出し,工学者,技術者がseedsを出して,
  両者が両輪となって先導する.宇宙開発の本流と述べてよい.

 デンソーの技能五輪優勝者とコーチが日本機械学会誌2005年12月号で
 インタビューを受けてたり。

  それで,考えることが少なければ少ないほど,
  そのことに集中できるんですよ.
  皆さん集中するっていう意味を勘違いしてる点もあると思うんですけど,
  集中するっていうのはそういうことなんですよね.
  あれもこれもというように,そのときやることが10も20もあると,
  集中しきれないんですね.
  10あれば五つは何も考えなくてもできますよと,
  残りの五つに集中する.
  それでいい品物は作られるんですね.
  そういうトレーニングを積み重ねていく.
  その点で彼は今まで見てきた中でも最高の腕だということができると思いますね.
  (コーチ、技能開発部グループリーダー:塩崎秀正氏)

「自炊」しなけりゃ、こんな話をひっぱり出してくるなんてできませんでした。
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2011年01月10日

なぜ僕は高専出身者となったのか

中学三年生の春にラノベにはまっていて、
厨二病をこじらせた僕は自分もラノベ作家になりたいと思い、
どうせなら自分が興味のある機械をテーマにしたいと思った。

これこそが、僕が高専に入学した、最も直接的な理由である。

ちなみに当時、ライトノベルという分類は普及しておらず、
富士見ファンタジア文庫と角川スニーカー文庫が主流だった。

ついでに入学後は一般小説と専門書にシフトしてライトノベルを読まなくなった。
小説も自分より上手い人が学内にたくさんいたので、書かなくなった。黒歴史。

機械に興味があったのは実家が町工場で、
小学生の頃に建替えするまでは頻繁に出入りしていたから、なんとなく親近感があった。

科学館に行くと、ギヤや水撃ポンプの前でずっと遊んでいるような子供だった。
特にギヤが好きだったな。あとゼネバ機構には小学生の頃から不思議な魅力を感じていた。

他の理由としては、全寮制で親元から離れられるというのも大きかったし、
就職率の高さと就職先も魅力的だった。

その二つが相関しないことは三年生のおわりまで知らなかったけど。

ともかく、バブル経済の崩壊から5年半で、
就職難山脈の始まりの山が来たときに求人数が多いのは中学生から見ても魅力的だった。

土日休みなのも理由としては大きかったと思う。
当時、県立高校はだいたい土曜日も授業があった。

あとは、20歳から自分で働いて自分で食っていけるというのも大きかった。
それは僕の父親が僕に似てちょっと歪んでいたせいかもしれない。いや、逆か。

そんなわけで高専に入ったわけだが、
ロボコンのイメージのせいで、なかなかの失望を味わった。

ロボコンにも参加せずに中学から続けていた剣道をダラダラとやっていた。
それも3年のときにソリが合わずに自然退部。

ロボコン勢とは仲の良いほうだったけども、特になにかをするわけではなかった。

僕の通っていた学科は機械工学科なんだけど、
教授はみな高齢で、しかも基礎寄りの人が多かった。
材料工学なら鋼の10^9サイクル以上での疲労破壊とか。

あんまりFAとか電気との連携には興味がないようだった。

そのあたりの知識が欠落していても、
基礎があるからすぐに追いつけることはここ数年で実感したけれど。
その当時はずいぶんと絶望していたもんだった。

4、5年生のときは帰宅部で、通学のときの読書と帰ってからのネットが楽しみだった。
そういえば、課題も大変だったね。インターンは面白かった。
日立ESDってトコの製造技術で2ヶ月くらい遊ばせてもらった。

卒業研究も、油圧配管の圧力センサ取付部に発生するバルブ開閉時のキャビテーションの話で、
航空宇宙クラスタのいまなら手を上げて参加しているところだけど、
担当教官に人気がないための残りモノ卒業研究だった。

ふと思ったけど、いまなら装置も自分で作れるな。。。

その重要性もわからないから、わりとやっつけで、
似非DFA(離散時間フーリエ解析)のVBAを相棒に書いてもらって、お茶を濁した。

ターゲットとしては、配管系の油柱共振というところで、圧力センサのデータをDFAかけて、
ピークの出た周波数と配管系の代表長さを比較するというものだったと思う。

ネタ元は自作スピーカーのバスレフ共振系のモデルだったりした。

就職先もなんとなく決めたんだけれど、
これは僕にとってわりと大きな転機だったと思う。
就職先というか、直属の上司が、だけど。(見てますか?)

当時はとにかく学校から逃げたかった。

こんなわけで、僕はなんとなく高専に入学し、なんとなく卒業してしまったわけである。

つまらない理由で本当に読んでもらった方には申し訳ないんだけれど、
これが、僕が高専出身者となった理由だったりする。

卒業してもうすぐ9年になるので、ちょっと書いてみた。
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2011年01月06日

例の都条例の騒ぎで思ったこと

とりあえず条例ができあがってしまったんで、いまさらですが。

TwitterのTLを見ているといろんな意見があったんですが、

・都知事の言動:高橋源一郎さんの指摘が的確、および被害担当艦
・警察側の思惑:外郭団体に200億円市場のテラ銭1%が落ちる話がやはり固い
・都小Pの立場:まあ机をバンバン叩いた人の思い込みにひきづられた形かな
・委員会の考え:やっぱり組織票や団体の支援は欲しいよね
・都議会議員?:委員会の決議をすんなり承認、反対しても票にならないし
・マスコミ??:条例だからニュースソースとしては弱いよね、警察怖いし

っていう形で流れていってしまったんじゃないかな、と。

たぶん、陰謀論とかと違って、それぞれの立場の人が、それぞれの短期的利益を考えて動いたら、
ほら、なんだか条例が通っちゃったよ、と。

で、この流れがあっているかどうかは知りませんし、たぶん間違ってることも多いんでしょうけど、
怖いなあ、と思ったのが、一度は否決された条例改正案が半年で復活してすんなり可決されて、
改正案を推進した人たちが

「もしかして条例ってステークホルダの反対があっても割と簡単に成立させれるんじゃね」

と認識してしまったんじゃないかな、ということ。

そりゃ、これまでにもこっそりやっていたことはあったんでしょうけど、
今回はステークホルダの2/3がほとんど反対を表明していたのに、
それが条例の否決には何の効力もなかったし、
1発はずしても2発、3発と打てば成立するということに気がついてしまった。

言論の力なんてそんなもんだったんだよ、と。

確かに反対派も今回は弱かったですし、改正案を作った人も上手かった。

春に「非実在青少年」というキーワードが威力を発揮してしまったので、
今回はそれを削り取って、反対派の象徴を霧散させたのは、効果が大きかった。
「非実在犯罪」ってのはやっぱりキーワードにはなれなかったからね。

あと反対派が弱かったのは、やっぱり議論がうまくかみあわなかったところかな。
キーワードがなくなったので「表現の自由」に話をもっていかざるおえなくなった。
けど肌感覚的じゃないんですよね。この「表現の自由」って概念。

情報も錯綜していて、条例改正案の原文ではなく、Q&Aしか読まない人も多かった。
Q&Aだけ読むと「なんだ単なるゾーニングじゃん」となってしまうんだけれどね。
東京都の担当職員はすごい。矛盾なくあれだけの抽出物をこさえるんだから。賢い。

被害担当艦の使い方も上手かったし、
煽り耐性のない人に副都知事がうんざりするところまで計算してたんじゃないかな。

 ・改正案は恣意的運用/拡大解釈が可能で危険
 ・現状のゾーニングで十分である
 ・自主規制の業界団体を作るように要請するのが順序
 ・ステークホルダが読者に訴えたら票をかなり削れることを認識せよ
 ・太平洋戦争に至るまでの言論封殺の歴史を認識せよ

このあたりに戦力を集中するべきだったんじゃないかな。

ほんと、ニコニコ動画や2chをちらっと見たけど、被害担当艦は良い仕事してたよ。

作るべきはMADや風刺画じゃなくて、上の5点を説明する動画やドキュメントで、
ニコニコ動画や2chに集まっている人たちなら、サクッと作れたと思うんだよね。

そういうものが作られなかったか、作られても主流にならなかったのは、
カウンターカルチャーの大きな問題だし、
作家や漫画家もそういった戦略的文章/画像を作れなかったのは、
日本という国家において大域的な知性がいよいよ減退し始めている、
ということなんじゃないかな。

大連立なんてコトバがサクッとマスコミに流れる時代だしね。

まあ、反省点としてはそんなところなんだけど、もうちょっと根深い話としては、
実質、立法/改法に関与できるのは、法の執行者のなかでも一部の集団に限られている、
ってことなんじゃないだろうか。

法の執行者といえば、東京都の職員や警察官がそれに該当するんだけれども。
で、三権分立の話では執行者と立法者は分離されているはずなんだけれども。
「議員立法」なんてコトバがあるくらいだから、執行者=立法者なんだよね。

市民の提言から法律が簡単に改正できるなら、
この条例改正みたいな騒動はないと思うんだけど。

この条例改正からもうひとつ連想できるのは、
日本に住まう人々のルールに対する平均的な認識の低さ。

結局「赤信号みんなでわたれば怖くない」が
平均的な日本に住まう人々のルールに対する意識を体現してるんだよな。

そういえば、法律の前提モデルみたいなものについて学校で習ったことがない。

「道徳」でイイハナシダナーはあるのに。法律が前提としているモデルの話はない。
儒教国家だからしかたないといえばしかたないのだけれど。

よくいえば人間を信用しているというか、
別のサブシステムでフォローできるからいいや、というか。

運用でなんとかしてしまう。人的資源の豊富さもあるし、
人間より自然災害が永らく主な脅威だったこともあるのだろうけど。

日本に住まう平均的な人々が、システムへの理解が薄いのも、
この柔軟な運用への期待値が高いからじゃないのかな。

擁護するなら、立法や改法へのアクセスが非常に悪いってのはある。
しかし法の執行者/立法者がそれでは。。。
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2011年01月05日

下手な鉄砲で数を撃とうと思ってはいけません

とある組合の忘年会に連れていかれた。
ぐだぐだな展開で、だからおまえらの会社は成長しないんだよ、と思った。

そんなぐだぐだの中で、
「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という、あるおじいちゃんの発言に、
弾薬の兵站まで含めた費用を思い浮かべて苦笑い。

さすがに「そんな残弾数で大丈夫か」とは言わなかったけど。

「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル 」で塩野七生は
カエサルがガリア戦〜内乱において敵地でも行動可能だった理由として、
少数精鋭化による、兵站面での負担削減を上げられている。

まあ、鉄砲のない時代の話だけどね。

別の例では、イラクによるクゥエート侵攻に端を発する第1次湾岸戦争で、
「砂漠の嵐」作戦がわずか100時間でイラク軍地上部隊の実質的な撃破に成功したのは、
C4Iによる連携とステルス機による機動性もあるけど、
精密誘導爆弾による地上戦闘車両の一撃必殺のおかげなのだから。

ベトナム戦争の「ローリングサンダー」作戦と比較してみるとよくわかるよね。
弾薬消費量は比べものにならない。ま、相手の形態も違ったわけだけども。

戦争でも経営でも、投下した資源に対する効果は考慮されねばならない。

略していえば「もっと命中精度がいいのを頼む」。

「下手な鉄砲〜」はROIを考慮せず、売上至上主義な時代を反映した言葉じゃないかと。
まあ、短期的なROI指標はあまり好きじゃないんだけどさ。
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2011年01月03日

電子書籍について、しつこく考えてみる

 ※ラム酒を飲みながら書き散らかしただけなんでまとまってないです。
  ん。ああ。まあ、いつもまとまってないけど。

iPadを買った。
買う前はこんなふうに考えていた。
(Twitterから)

 デジタルフォトフレームを薄くしたら、それはもう電子書籍端末だと思った。
 jpgでいいじゃん。通信機能とかいらないし、リッチOSも必要ない。

 ガラパゴスとリーダーの実機を昨日はさわってきた。
 細かいことはわからんけど、iPhone持ってる身としては、いらんよね、売れなさそう、という感想。

で。iPadをちょっと使ってみて思った。

 1.ほとんどの本より重い
 2.一部の本よりは軽い
 3.パラパラめくってコンテンツを探すのはわりと大変
 4.検索はあまり使う気がしない
 5.本棚ほどの一覧性と世界性はない

というのが感想。
書籍を読むために買ったわけではないので、問題はないかな。
読んだけど本棚に置く気になれない本の内容は、自炊をして保管しておくつもりではいるけれど。

まあ、そうはいっても、巻物から綴じ本に、音読から黙読にシフトできたんだから、
そのうち紙の束から電子板にシフトしてもおかしくはないよね。
ちなみに、巻物から綴じ本になったことで、本はシーケンシャルでない利用が可能となりました。

このながれでいくと、電子書籍の行く先はシーケンシャルでない方向への進歩にも思えるんだけど、
どうもWebと違って、巻物にもどしてる感じがするんだよな。青空文庫とか使っていると。
シーケンシャルに読んでいかないといけない気がしてしまう。

まあ、僕は巻物みたいにじっくりとシーケンシャルに本を読むのも好きなんでいいですが、
後である一章だけ読み返したいとなると、なかなか巻物では難しいし、
そもそも章のタイトルとか覚えてないし、文脈を知りたいから読み返したいのに、
単語で検索してどうするよ、と。検索って文脈を破壊できるよね。

ところが綴じ本に慣れた身体感覚っておそろしいもんで、
この装丁の本のこのあたり、こんな感じの文章の近くにあんな文脈があったハズだよね、と。
わりとすぐ見つかる。教科書みたいに図が入ってたらもっと早い。
合金状態図のとこにあんな話があったよね、と。
というわけで専門書はやっぱりリアルな本じゃないと使いづらいかも。

それにしても、現行の電子書籍はどうかと思う

電子書籍は現行の状態では、
退化しただけにしか思えんのだけど、どうなんだろう。
書籍ってパッケージをとる必要ってないよね。
RSS流してくれたら、Webで見るよ。Foresightみたいに。

あとはメルマガみたいな形でもいいかな。
そうすると「まぐまぐ」は時代の先端だったんだな、と。
実際に、段落ごとにうまく分節してメールしてくれたら、
マルクスの資本論でも読めてしまう気がする。あれは本では読む気がしない。

ただ、Webやメルマガって、中間で編集が入らないので、
下手をすると素人のブログの延長になってしまう。

で、そうなると、ある程度の編集と集約とレベルの確保が期待できる本ってパッケージには
まだまだ期待できるのかな、と思った。

あとは、定型性かな。紙の本が一般的にとれる形態には流通上、限界があって、
新書や叢書、文庫本だと、各部の寸法はだいたい同じになっている。
教科書ならA5版が主流だし、雑誌ならB5版かA4版ぐらい。

Webやメルマガにはそういったリアルワールドの寸法に対する制約がないわけで、
いちいちフレーミングしないといけない。これがよくなかったりする。

あとは広告などの夾雑物が多いのもよくない。
3ペインの左右両側にアフィリエイト広告が並んでいることがよくあるけど、
意識できないだけで、無意識で認識リソースを吸い取られていると思う。

人間の時間と認識能力には限界があるわけで、
ある一定の物理的フォーマットに制限されたコンテンツってのは
コンテンツを取り扱う際の負荷をおさえることができるんじゃないだろうか。

歳をとると新聞が楽になるのも、定型性による認識リソース消費の抑制、
ってところが効いていると思う。

そう考えると、電子書籍は定型性をもたらすにはいい仕組みなのかもしれない。
Webやメルマガでもできるけど、定型性を崩すのが簡単すぎる。
業界標準のように定型性を技術の上位から抑え込む仕組みこそが
電子書籍の肝なんだと思う。
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2011年01月02日

宇宙機器の内製化について

「あかつき」の金星周回軌道への投入が失敗してから、しばらくになる。
軌道投入失敗の原因については、現在も調査中だけれど、
バルブまわりが疑われていた頃、松浦晋也さんがこんなTweetをされていた。

 @ShinyaMatsuura: しかしバルブ回り(と、現時点で決まったわけではないが)は怖い…単純なようで高度のノウハウが必要。
 かつ、宇宙向けは数量が少ないので国産化が困難。

 @ShinyaMatsuura: かつて国産化を自動車用バルブメーカーに打診したところ「何万個必要ですか」と言われたそうだ。
 年間数十個、と答えたら門前払いとなったという。

で、このTweetを読んだとき、

 1.「自動車用バルブメーカーに頼むとは、なんと筋の悪い」
 2.「数量が少ないから困難、というのは本当だろうか」

と思った。

まず、1.について。
信頼性の高い機器の構築手法として、数量ベースに開発費を分散させる自動車部品メーカーの手法というのは、
宇宙機の考え方とまったく異なると思う。要求される信頼性の性質も異なる。
テストできる状況での信頼性とテストできない状況での信頼性ということでは、
それを実現するための手法はまったく違うのではないだろうか。

そもそも一部の化石燃料以外のノウハウは自動車用バルブのメーカーにはないんじゃなかろうか。
ヒドラジンや液酸をケロシンと同じように扱うわけにはいかないし。

こういった調達に関する判断をしている人が、真剣にそういった調達経路を検討したとしたら、
それは調達屋としてどうなんだろう、と思う。
苦労話としてネタで言ってるのならいいのだけれど。


次に、2.について。
数量が少ないから国産化が困難というのは、本当なんだろうか。
産業用の機器に関しては、年に5台でまわしているような零細メーカーはいくらでもある。
大手企業の財務屋が見たら、卒倒するような在庫回転率が当たり前だったりする。
いや、私の勤め先にも在庫回転率が年0.2回などという恐ろしい商品もあるんだけど。

それを考えると、数量が少ないから国産化は困難というのは、ちょっと答えを急ぎすぎていると思う。
おそらく松浦晋也さんはわかっていて、言葉足らずなだけだろうけれどね。

で、実際の問題は、宇宙機器として使用可能なレベルの品質をどうやって確認するか、
という点に集約できるんじゃないかな。

それなりの費用を出してもらえれば、形状・材質・精度を満たしたモノは作れる。
自動車の生産設備や航空機部品に関わっている加工屋さんのレベルはとても高い。
愛知県内にはそういった加工屋さんがたくさんある。

けれど、それが最適な設計なのか、宇宙の極限環境で機能を満たすのか、機能が再現しない確率はどれほどか、
を検証する方法を誰も知らないし、そういった方法を確立するのには、20年単位の薄くて長い投資が必要になる。

なにしろ、テストスタンドを全部、用意しなければならないのだから。

回収に20年単位なんて話はまともな企業ならとても受けられない。
最近では投資に対して2年半で回収しないとお金は貸さないよ、などという話も多い。

だから、宇宙機器向けのノウハウというのは、通常の会計基準から離れた特別な環境でなければ成立しない。

これをクリアするには、20年単位の契約を独立行政法人と企業の間で結ぶ必要があるけれど、
事業仕分けを見ていると、そんな先の話を考えられる政治家がいなかったりする。

企業側も宇宙機器のノウハウを構築する手法を知っているわけではないので、手探りになるけれど、
手探りで手法を構築できるだけの人材を、そんな長期の契約に投下できるかどうかは微妙だったりする。

こういった点を踏まえると、競合は少ないし、マーケットは拡大傾向にあるし、
ベンチャーとしてとても面白い分野だとは思うけれど、なかなか盛り上がらないんだよね。

現時点では、植松電気とSNSぐらいか。HASTICスキームの一人勝ち?

でもさ。
加工技術があるのにお仕事が減っている中小企業と、
修了後ポストのない航空宇宙工学の博士課程の人と、
独立行政法人の調達部が組んだら、
それなりの成果は出てくると思うんだけど。

と、クリスマスにそんなことを考えている、宇宙開発ファンな、零細企業の中の人でした。
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2011年01月01日

あけましておめでとうございます2011

あけましておめでとうございます。2011年ですね。

「2001年 宇宙の旅」で人類は木星系まで有人探査を済ませているのに、
我々は未だ、地球の400km上空に「宇宙駅」をかまえるところで止まってしまっています。

ぼちぼちラグランジュポイントくらいまでは進出したいもんですね。

まあ、いろいろと課題は山積していますが、地道に解決していけるよう、
今年も多方面に渡って読書をし、ぼちぼちと実験装置の設計もしていければと思っています。

というわけで、今年もよろしくお願いします。
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2010年12月04日

東京都青少年健全育成条例改正案・再び

「東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案」の改正案が出ました。

 『非実在青少年規制』 -> 『非実在犯罪規制』

おいおい。改悪してるじゃないか。

ここで3月23日の自分のブログエントリを参照。


 何が危険かというと、

  「実在しない妄想を表現したものを、権力が規制できる」

 って流れ。

 今は「性的な」表現だけがアウトなんだけど、
 これは放っておくと、どんどんエスカレートして、

  次は「暴力」がアウト

  次は「教育上好ましくない言葉」がアウト

  次は「金銭犯罪」がアウト

  次は「法律上認められていない商行為」がアウト

  次は「体制批判」がアウト

 で、特高(検察)に踏み込まれる、というオチです。

 「積極的な、非実在青少年に関する妄想、の保護」
  http://kirikuzudo.sblo.jp/article/36546772.html

の下から2番目までアウトになっちゃってるじゃないですか。
10年くらいかかるかなあ、と思っていたのが、9ヶ月で一気に詰められるとは。

甘かったです。。。

表現の自由とかを過大に叫ぶのはどうかと思うけど、
普通に政治思想の面から見て危ないよね。

これは法案を提出した、都の「東京都青少年・治安対策本部総合対策部」の中の人も
どこまで意識してるかわからないんだけども。
というか、たぶん、ここに圧力をかけて法案を提出させている人たちも意識してないよね。

 「東京都青少年・治安対策本部」
  http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/index.html

それを踏まえて、僕が実際に懸念しておいたほうがいいと思うのは、以下のこと。

こういう国や都の機関に圧力をかけている人たちは昔からいたと思うんだけど。

そういう人たちの中に、戦前・戦中・戦後の「言論と政治思想に関する混乱」を、
体験していたり、体験した人の肉声で聞いて体感的にわかっていたりする人が、
いなくなったんじゃないのかな、ということ。

あとは過去にそういうことがあったし、今後も状況によっては発生する可能性があって、
自分たちの選択がその状況を発生させる条件をそろえていくかもしれない、
という想像力の欠如。

そういう想像力があれば、ちょっとブレーキを効かせるとか考えるんだろうけど、極端だよね。

都小Pの新谷さんとか、「これが子供に見せられますか」バンバン、とやってたそうだけど、

 「見せたくない」 -> 「見せたくないものを作れないようにしよう」 -> 「法律にしちゃえ」

って、他のさまざまな事情に配慮できないんだろうか。

それこそ「アドルフに告ぐ」ぐらい読んでおけよ、と思うけど、漫画嫌いなんだよね。
じゃ「隷属への道」(ハイエク)とか。わりと高尚な読み物で、時間かかるけど。

まあ、何が言いたいかというと、勉強不足なんじゃないですか。 -> 法案を考えた人たち

不思議なことに、権力や権威のあるポジションに着く人たちの中には、

・自分が正しいと思っている
・ゆえに声が大きい
・そして意外と勉強不足

な人が古今東西、多いんですよね。
落ち着いたら、そのあたりのメカニズムも考察してみたいと思いました。

しかし、勉強になるとはいえ、勘弁してほしいな。こういうのは。
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2010年12月03日

つながっていかないワザ

職人といえるほどのものでなくても、ワザというものが途切れそうになる場面が、
これからたくさん出てくるんじゃないだろうか、と不安になる。

最近、60歳前後のテクニスト(技能者)やエンジニア(技術者)とのエンカウントが多いのだけど、
彼らが決まって口にするのが「誰かこいつを覚えてくれる人いないかなあ」というセリフ。
自分が教わって磨いてきたものが自分で終わりというのは、寂しいのだろう。

しかし、よく考えたら、寂しいだけではなく、ちょっとまずい事態なんじゃないのかとも思う。

どうやって現代日本のような社会が維持されているか、ちょっと考えてみるとわかるけど、
それはありふれたテクニストたちが日々、
先輩から教わった技能で真面目に仕事をしてきたからじゃないだろうか。

そういった人たちが減りつつある。技能が途切れていく。

食いっぱぐれはしないものの、余裕のない生活だ。人気があるわけじゃない。

まわりを見ると、若い(30代後半)人間はみんな世襲で、しかも、ほとんど独身。

財政危機とかも影響がでかいからなんとかしてほしいが、それ以上に、
現代日本はインフラや設備のような基礎的な部分を維持できなくなってしまうのではないだろうか。

4世紀のローマのように。

基礎が崩れると、もはや社会的な安定は望めない。

兆候としては、水道管が破裂したり、病院の空調が止まったり、大規模長期停電が起こったり、
などなどすることになるんじゃないかな。

いまはみんな、食いっぱぐれる心配しかしてないし、
だから中小の設備業者でも体力のあるところは焼畑農業に走ってるんだけど、
20年後のことを考えると、生き残っても仕事がこなせないなんてこともあるかもしれない。

だからといって、どうにかできるわけじゃないんだけどね。

僕らのような設備関係の人間ができることとしては、
省配線・省配管・省工程のパーツモジュールを使って、少ない工数で、
仕事をさばいていくくらいしかできない。それもコストを切りつめられると厳しいけど。

そして、これから先、減り続ける人手のために、
もしかすると、僕らは彼らが3人で分業専門として行っていた技能を、
1人でこなさなければならなくなるかもしれない。

で、10代の人たちに。

いやね。夢のある仕事を否定するつもりはないけどさ。
才能がないなら、こういう仕事のほうが自己実現にはなると思うんだけどね。
少なくとも、がんばれば腕は上がるし、腕があれば必要とされるんだし。

少なくとも、大学や専門学校に行かなくても、食いっぱぐれないレベルの仕事はあるから。
ハローワークとか行ってみるといいと思うよ。別に大卒でもいいけど。
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