この「『xx』を読む」というタイトル、
松岡正剛氏の『情報の歴史を読む』というタイトルから借用しています。
こちらも良書。また時間があれば読み返したいところです。
あと、このシリーズではしつこいくらい「社会主義」という用語が出てきますが、
これを字面の持ってるイメージで捉えるとよろしくないかと思います。
本では使い分けられているので、違うものを指していますが、
「社会主義」を「集産主義」と読み替えた方が、
滅んだと思われている形式的な「社会主義」にふりまわされることがなくていいかもしれません。
というわけで、今回も早速、引用から入ります。
今回は10ページにわたる序論の中から。
まさしく、ほとんどすべての人が望んでいるからこそ、われわれは社会主義への道を進んでいるのである。その歩みを不可避なものとするような明白な現実があるのでは決してない。
(中略)
もし、固い信念をもってこの歩みに抗いがたい勢いを与えている人々が、今わずかの人々のみが理解していることを本当に知り始めた時、彼らが恐怖のあまり後ずさりし、半世紀にわたって多くの善意の人々が追求しようとしてきたことを放棄するということが、ありえないと誰が言えよう。
問題は、今を生きる人々が広く信じていることがどのような結果をもたらすかということである以上、それは決して何らかの党派の問題ではなく、われわれすべてにとっての問題なのであり、最も重大な意義を有するものなのだ。
われわれすべてが、高い理想に向かって未来を意図的に形作っていこうと努力しているのに、その努力が図らずも求めようとしたこととまったく逆のことを生みだすことになるとしたら、それは何にもまして、大きな悲劇ではないだろうか。
あいかわらずわかりにくいので、ちょっと読みくだしてみます。
まず(中略)のところまでは、「社会主義化は誰が強制したものでもなくわれわれが望んでいるからこそ起きる」ってところですね。
そして(中略)の後に3つの文がありますが、
1つ目は「善意でもって社会主義を選択し推進している人が、もし社会主義のもたらす結果について知ったら、社会主義を放棄しようと思うかもしれないよね?」
2つ目は「社会主義とか自分とは関係ないって思うかもしれないけれど、もし社会主義者が多数派になったらあなたも無関係じゃないし、これは大事な問題だよ」
3つ目は「なにより社会主義を理想としてがんばった結果、理想と正反対の状態が展開されたらさすがにきついよね」
という感じでしょうか。
で、このパラグラフがなぜひっかかったかというとですね。。。
上の読みくだしの「社会主義」を「自然エネルギー推進」「高福祉国家」とか、
なんでもいいので流行りの用語に入れ替えてみるとあら不思議、なんですよ。
もちろん、うまくいかない用語もあると思うのですが、
だいたいそれなりに読める文になりますし、それなりに警告を発してくれる文になります。
さて。
で、そういう遊びをひととおり行った後に、20世紀の歴史を思い返して、
「ソビエト連邦がどのような理想を掲げて、その結果どうなったか」
「第三帝国がどのようにして成立し、どのような末路をたどったか」
を考えてみれば、上の警告がなるほどと思えるかもしれません。
もし納得できないということであれば、さらに進みましょう。
むしろ、この警告が「なにそれおいしいの」と思う人ほど、
この本の恩恵にあずかれる可能性が高いのですから。
(第3回につづく)
2011年08月05日
2011年06月17日
『隷属への道』を読む 第1回
唐突にはじまった、シリーズ「『隷属への道』を読む」。
以前に読んだ『隷属への道』を最近ぱらぱらと読み返していたところ、
あまりにも現在の状況を指摘しているような文章が多いため、
これは一度、ゆっくり読み直したほうがいいだろう、と。
で、どうせ読み直すなら、自分がひっかかった部分を引用し、
現在の日本社会との対比をしつつ読み進める様をコンテンツ化してしまおうと、
シリーズ化を決めました。
ちなみにはじめに読んだときの感想
http://kirikuzudo.sblo.jp/article/37354516.html
(書籍情報などもこちらに)
まあ、1週間に1回、更新できればいいほうだと思いますが、
時間をかけてでも、全章からまんべんなく引用していこうと考えていますので、
おつきあいください。
では早速。
このようにして、大西洋の両側において、アメリカとイギリスは個人主義と競争的資本主義を唱えながらも、実行面では社会主義を実践しているといっても、必ずしも言い過ぎではないのだ。ゆえに今こそが、『隷属への道』を読むのに、ふさわしいときと言えよう。
(1994年版への序文、ミルトン・フリードマン)
ミルトン・フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞したリバタリアニズムの経済学者です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Milton_Friedman
この引用文は1994年版の発行に際して、ミルトン・フリードマンが寄せた序文の最後の一文です。
1990年代を生きる人への紹介文となっている、この序文の12ページだけでも
読むのにずいぶんと時間がかかるものなのですが、実はここがこのシリーズの動機づけにもなっています。
この12ページの紹介文でミルトン・フリードマンが書いているのは、
おまいら自分では気がついてないかもしれないけれど、
実は現代の主要先進国はほぼ全て、集産主義にどっぷり浸かってるんだぜ?
自分は資本主義にどっぷりだと思いこんでるだろ?
それに気がつかないのが集産主義の罠であり、『隷属への道』なのさ。
悪いことは言わないから、この本を読んでみろよ。
自分の愚かな思い込みが身にしみてよくわかるぜ?
ということです。
彼は主にアメリカとイギリスについて、いくつかの兆候を取り上げ紹介文中で解説していますが、
それを読んでいると日本もその例外でないことはすぐわかります。
日本の実例については今後の引用で取り上げることになると思いますので、紹介文からはこれだけです。
(第2回につづく)
以前に読んだ『隷属への道』を最近ぱらぱらと読み返していたところ、
あまりにも現在の状況を指摘しているような文章が多いため、
これは一度、ゆっくり読み直したほうがいいだろう、と。
で、どうせ読み直すなら、自分がひっかかった部分を引用し、
現在の日本社会との対比をしつつ読み進める様をコンテンツ化してしまおうと、
シリーズ化を決めました。
ちなみにはじめに読んだときの感想
http://kirikuzudo.sblo.jp/article/37354516.html
(書籍情報などもこちらに)
まあ、1週間に1回、更新できればいいほうだと思いますが、
時間をかけてでも、全章からまんべんなく引用していこうと考えていますので、
おつきあいください。
では早速。
このようにして、大西洋の両側において、アメリカとイギリスは個人主義と競争的資本主義を唱えながらも、実行面では社会主義を実践しているといっても、必ずしも言い過ぎではないのだ。ゆえに今こそが、『隷属への道』を読むのに、ふさわしいときと言えよう。
(1994年版への序文、ミルトン・フリードマン)
ミルトン・フリードマンは1976年にノーベル経済学賞を受賞したリバタリアニズムの経済学者です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Milton_Friedman
この引用文は1994年版の発行に際して、ミルトン・フリードマンが寄せた序文の最後の一文です。
1990年代を生きる人への紹介文となっている、この序文の12ページだけでも
読むのにずいぶんと時間がかかるものなのですが、実はここがこのシリーズの動機づけにもなっています。
この12ページの紹介文でミルトン・フリードマンが書いているのは、
おまいら自分では気がついてないかもしれないけれど、
実は現代の主要先進国はほぼ全て、集産主義にどっぷり浸かってるんだぜ?
自分は資本主義にどっぷりだと思いこんでるだろ?
それに気がつかないのが集産主義の罠であり、『隷属への道』なのさ。
悪いことは言わないから、この本を読んでみろよ。
自分の愚かな思い込みが身にしみてよくわかるぜ?
ということです。
彼は主にアメリカとイギリスについて、いくつかの兆候を取り上げ紹介文中で解説していますが、
それを読んでいると日本もその例外でないことはすぐわかります。
日本の実例については今後の引用で取り上げることになると思いますので、紹介文からはこれだけです。
(第2回につづく)