2011年12月11日

斜陽産業は社会資本産業でもある説

斜陽産業は俗にインフラと呼ばれる社会資本を支える産業であることが多い。企業内でもインフラ部門の人間は出世しにくいし、社会でも職種としては地位が低く見られている。それはインフラ部門はプロフィットセンタとなることが原理的に不可能なコストセンタだからだ。逆に売上と粗利を扱う営業部門やコスト削減により利益を扱う生産技術部門などがプロフィットセンタとして高いポジションを取れる。

しかしながら、インフラ部門のない企業が企業活動を継続できないように、社会資本のない社会では経済活動を行うことができない。リバタリアニズムの代表的な人物である、ハイエク(フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク)も慎重な筆致でその著書で書いている。一部の社会資本は自由主義的な競争にさらすのはかえって自由主義を損なうと。

リバタリアニズムを信奉している人はWebの世界に多く、特にアルファブロガーと呼ばれる多数のビューアーを抱えるブロガーにはリバタリアニズムな人が多いと思う。しかし、斜陽産業の役割についてはあまり取り上げているところを見たことがないし、社会資本として動いている航空会社でも銀行でも問題があれば潰れるのが正しいという扱いをされている方が多いように感じる。

実際にモノを動かしている人たちやその社会資本がなければ生きていけない人たちがいる以上、なんらかの形でそれらを保護する必要はあるのだが、そもそも、それらが潰れるような可能性を有する民間企業として稼働しているのはどこまで正しいのだろうか、という意識が僕にはある。

例えば、鉄鋼・ガス・石油・電力などに関連する多種多様な業種は第2次産業の中でも成長のない、むしろ社会需要の減少とともにマイナス成長する「斜陽産業」として見られてきた。

しかし、そもそもそれらが産業として成長しなければならないかどうかという議論がそこにはない。これは大きな見逃しだと思う。

もちろん、それらの分野でも技術革新が必要である。だが、待って欲しい。競争がなければ本当に技術革新もないのだろうか。

Idle Curiosityという語がある。

これは人類学分野の知見で、人は生まれながらに知識を得ること自体に快楽を見いだし、それを追求する習慣を持っていること、それを表現している語である。

またInstinct of Workmanshipという語もある。

これも人類学分野の知見になるが、経済学的な制約がない状態では、人は自分が作り出す物の品質が最高の状態にしようとする習慣を、これまた生まれながらに持っていること、それを表現している語である。日本語にするなら「職人気質」というところだろうか。

こういった人類にエンベデッドな機能を考慮したときに、果たして企業間競争がなければ技術革新も品質の向上もないなどと言えるだろうか。

iPhoneは果たして企業間の競争の中で生まれたのだろうか。ジョブズの言動を見る限り、あれはジョブズのInstinct of Workmanshipだったのではないだろうか。

また、今日のあらゆる構造に欠かせない材料強度学の知見もイングランドの経済的な制約の薄い研究所で生まれたものが多い。

人類の知識目録を総覧したときに果たして企業間競争によって生み出されたものというのはどれだけになるのだろう。

話が飛躍してしまったが、インフラというのは企業間競争が可能な自由な社会が成立するための前提条件でもある。その前提条件を企業間競争の名の元に崩せば、それまで可能であった企業間競争自体が成立しなくなる可能性をもう少し考慮するべきではないだろうか。

※参考文献『社会的共通資本』(宇沢弘文著、岩波新書)
posted by kirikuzudo at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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