2011年01月31日

「自炊」は電子書籍の製作手段ではない

ここしばらく「自炊」をしているのですが、
自炊は電子書籍の製作手段ではないと思いはじめました。

まずは元ネタから。

「ロージナ茶会ちゃんねる 電子出版編 (前半)−ニコニコ動画」
(※ちなみに前半後半あわせて90分の1コマ授業です:白田先生は法政大学の准教授)



私の経験からくる感覚では、「自炊」するというのは、
本を捨てる際の精神的な痛みをやわらげるための儀式です。

あるいは、目的と手段の副作用を逆転置換させることで、
本を捨てることに伴う罪悪感を軽減する予防的措置です。

つまり、

 「な、捨てても大丈夫なんだよ」

 「え? なんだって? 読み返したくなるかもしれないって?」

 「なあに、かまうものか、PDFにしてあるんだろ?」

 「いざというときはそれを読めばいい」

と悪魔がささやいてくれるということ。

もうちょっと細かく説明しましょう。

「自炊」で主流の方式は「裁断+ADFスキャン」です。
これは本をPDFデータにするために、事前に本を裁断しなければなりません。
そして裁断した本は、従来の書籍としては機能しないので捨てることになります。

つまり、

 「自炊」→「裁断をともなう」→「本を捨てる」

となります。

そう! 本来の目的は書籍の内容を電子化することのはずです!

ところが、この「→」を「=」に置き換えてみると。。。

 1.「自炊」=「裁断をともなう」=「本を捨てる」

 2.「自炊」=「本を捨てる」

 3.「本を捨てる」=「自炊」

 4.「本を捨てる」→「自炊」

なんということでしょう(笑)!

「本を捨てる」ために「自炊」することになってしまいました。

これでは「手段」と「目的」が逆転どころか、
「手段の副作用」と「目的」が置換されてしまっています。

 「自炊」:目的
 「裁断をともなう」:手段
 「本を捨てる」:手段の副作用

これが「自炊」の魔力です。
我々は、本を捨てる為に「自炊」するのです。
電子書籍が欲しいから、書籍のコンテンツを電子化したいから、
「自炊」するのではありません。

これから「自炊」しようとする人は気をつけてください。
あなたがスキャンした本の内容をあなたはほとんど読まないはずです。
なぜなら、あなたは、精神的には既にその本を「捨てた」からです。

もう一度、真剣にその本を読みたいと思ったら、
再びなんらかの方法で「同じ本を買う」ことになると思います。


注意:ディジタル・ネイティブは上記の理屈に該当しません。
   書籍が精神的に作用する実態を持っていたのはつい最近の世代までで、
   コンテンツを吸収してきた世代に「書籍の魔力」は作用しないのです。
posted by kirikuzudo at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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