2010年06月22日

社会は構成員から必要以上のものを奪う

今日はmedtoolzさんの日曜日のエントリを引用。

 「動作が意識に先行する」 - レジデント初期研修用資料
  http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/821

読んでいてまず思いうかべたのは「リヴァイアサン」(*)だった。
まあホッブスのリヴァイアサンは目が悪くなりそうだから読んでないけど。
岩波文庫のアレは拷問。

次に「ガリレイの生涯」の後書きを思い浮かべた。

どうもmedtoolzさんのエントリを読んでいると、機械の話じゃなくて社会や組織の話に思えてくる。

動作が意識に先行するなんて、今の社会そのもので、
空っぽの機械にできることしかできていないのが、
今の社会そのものでもあると思う。

今の社会は「空っぽの機械」そのもののような気がする。

社会が文脈群というデータベースをなんらかの形で保持しているのは間違いなくて、
ただ、それはOracleたんみたいなRDBMSじゃないから、整合性・正確性には欠けるし、
だからこそ極小要素の変化から文脈の変化が起こるのだけども。

それから思ったのは、もし今の社会が「空っぽの機械」だとしたら、
それを構成している構成員はどうなるのだろう、と。

そしてブレヒトの後書きメモに書かれている表題のことばにつながった。

 「社会は構成員から必要以上のものを奪う」

確かそんなような意味のことが書いてあったと思う。


*Wikipedia - Leviathan
 http://en.wikipedia.org/wiki/Leviathan_(book)
 日本語にとばないとわけわからんと思います。私も3行目であきらめました。
posted by kirikuzudo at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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