2016年08月08日

「シン・ゴジラ」雑感

良い作品だと思います。
筆不精なクズさんにこうやって文章を起こす気にさせるぐらいですから。
良い作品ってアウトプットのトリガーになるものだと思うんですよね。

さて、ネタバレが怖くて見に行きました。

いちばん強く感じたのは、「劇場版ガールズ・アンド・パンツァー」を見たときにも感じた、ディテールをきちんと描写してる風に見せることで作品全体にリアリティを与えている、というところでした。

フィクションにどうやってリアリティを与えるか、というときに、圧倒的なウソとそれ以外の圧倒的なディテールを組み合わせる、という手法は、確かに野生のプロが跋扈するネット+SNS時代に適合したものかもしれません。

「自分はxxを職業としているが、あの映画のzzの描写は本物だ」

というTweetが多ければ多いほど、圧倒的なウソ以外の部分は本物となり、それが圧倒的なウソ(ゴジラ、学園艦と戦車道)にすらリアリティを与えることになります。

そういった点では、視聴を終えた者も作品の形成にかかわっていると言えるかもしれません。(ちょっとナイーヴすぎるかな?)

さて、そんな点から評価されている「シン・ゴジラ」ですが、こういったディテールを延々と描写して評価されるといった土壌が形成されていること自体に、またそういう作品が作られていく土壌が形成されていることに、独特の社会的な成熟を感じたりもしてしまいます。

複雑な手続き的社会の構成に対して原理主義的な主張を押し付けるのではなく、その複雑さそのものを興味の対象として知識体系をつくりあげていく中間的知識階層というものが、少なくとも映画の視聴対象として(無意識的に)認識されるレベルになっているのではないか、と楽観的な期待を抱いてしまいます。

和辻哲郎の「風土」ではないですが、東アジア地域の住民には現状受容的な傾向がみられるという観点をとりいれると、とても前向きな、現状受容的な成熟と言えると思います。

もちろん、「シン・ゴジラ」や「劇場版ガルパン」を見て評価している人が多数派だとは思いませんが、そういう人が商業的実数として把握されるというのはなかなか心強い事実です。

蛇足ですが、二番目に抱いた感想は「NERVのないエヴァ、って的確な表現だった」で、三番目は「庵野秀明のやりたいことを絵にするスタッフすごい」でした。

現代においてはどんな天才もひとりでは大事業を成し遂げることはできない。
必ず多くの人の協力と少なからぬ犠牲が必要になる。

それがこの作品を作った人たちと画面で描かれた作品のなかの人々に共通することであり、この映画で僕がいちばん気に入ってるポイントでもあります。

posted by kirikuzudo at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記